高橋御山人の百社巡礼/其之七拾壱 兵庫・川西 龍討ち山掘る 源氏の祖が大暴れ
源氏二代目・満仲は、山に棲む龍や鬼等の異類と戦い、鉱山を得て、武士団を組織した
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著者:
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高橋 御山人
概要
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾四 因幡の白兎と出雲国風土記 山陰のワニ神話
- 「因幡の白兎」と出雲国風土記に見る「ワニ」の神話とは?海より来るモノたちの伝承
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ナレーション0
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ストーリー0
鳥取市西部の白兎海岸は、神話の「因幡の白兎」の舞台となった場所である。隠岐島に住む兎が、本土に渡るため、ワニの数を数えると騙して、海にズラリと並ばせて、その上を渡るが、最後のところで騙したことを明らかにしてしまい、報復としてワニに皮をはがれたという話だ。その後、因幡の八上比売(やがみひめ)に求婚する旅の途上であった、大国主命の兄神達に騙されて傷が悪化するが、大国主命に救われて、大国主命が八上比売と結ばれることを予言する。鳥取市の南部内陸には、この八上比売を祭る売沼神社(めぬまじんじゃ)もある。中国地方では古くからサメのことをワニと呼び、広島県の三次市周辺ではその刺身などもよく食べられているが、このワニにまつわる話は、出雲国風土記でも見られる。その一つは島根県安来市の「史実」として書かれた話で、さる姫が海岸にいたところワニに食われてしまい、父が神に祈ってその復讐を果たすというもの。これは安来に伝わる「月の輪神事」の起源ともされている。もう一つは同県奥出雲町の「鬼の舌震(おにのしたぶるい)」という峡谷の伝承で、上流に住む玉日女命(たまひめのみこと)を恋い慕ったワニが上って来るが、これを嫌った玉日女命が、石で川を堰き止めたというもの。山陰の神話に伝わる、海より来るワニとは何なのか。その真相を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾五 島根・隠岐 「戦う天皇」配流の島々
- 後鳥羽帝、後醍醐帝、幕府と戦って配流となった天皇の足跡を、隠岐の島々に訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ナレーション0
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ストーリー0
島根半島の北、約50kmの沖に浮かぶ隠岐諸島。本土に近い知夫里島、中ノ島、西ノ島から成る島前、その沖の島後島一島のみの島後と、大きく二つの地域に分かれている。神話の国・出雲の沖に浮かぶだけあって、古い歴史を今に伝えており、島後の玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)は、古代からの国造・億岐家(おきけ)が、代々宮司を務めている。ここには、現存唯一の、律令時代に朝廷から支給された駅鈴が、今も保管されている。日本海を挟んで新羅や渤海といった国々との交渉もあり、隠岐国一国を成した。このように、都からはるか遠くの離島とは言え、古代から栄えて来た隠岐であるが、平安時代以降は、小野篁始め、数多くの人々が流刑に処される地となった。特に中世、後鳥羽、後醍醐と、二帝が流されて来た事は特筆すべきである。後鳥羽上皇は、承久の乱に敗れた後、島前の中ノ島に流され、ここで十九年を過ごして崩御した。現在も行在所跡や御火葬塚が残り、隣接して隠岐神社が建っている。後醍醐天皇は、倒幕に失敗して流されたが、一年後に脱出し再び挙兵して幕府を滅ぼし、建武の新政を行った。隠岐滞在時の行在所は、島後の隠岐国分寺とも、島前西ノ島の黒木御所とも言われる。今、黒木御所跡には、黒木神社が建っている。配流の島々に、二人の「戦う天皇」の見果てぬ夢を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾弐 三重・志摩 まつろわぬ別宮 伊勢の深層
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
平成25年に式年遷宮が行われた、伊勢の神宮。それが内宮・外宮より成ることは一般にも知られているが、その他に多くの別宮・摂末所管社があり、全て合わせると125社となる。由来は様々だが、その多くは、神宮創祀の際、地元の神が従って、神宮に土地の譲渡や貢納を約束する話となっている。その別宮の一つ伊雑宮が、志摩市に鎮座する。この伊雑宮は、伊勢から離れたリアス式海岸に近いという地理的条件もあって、別宮の一つでありながら、独立的傾向が強かった。明治の神仏分離を経てもなお、北極星の信仰に関わる祭祀が続けられ、江戸時代には、伊雑宮こそが神宮の発祥、中心であるという偽書の発行に関わり、幕府より弾圧を受けるという「まつろわぬ」歴史もある。そもそも伊勢とは、神話の時代に遡れば「まつろわぬ」土地だった。また、中世においても「まつろわぬ」ものの噴出する土地であった。朝廷、国家の宗教的中心地に、なぜ「まつろわぬ」要素があるのか。事象の「裏側」から見た、伊勢というものの深層を掘り下げる。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾 大分・熊本 まつろわぬ土蜘蛛 その核心は!!
- 九州に数多い「まつろわぬ」土蜘蛛の伝承。その核心は大分と熊本の間にあった!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
大分県南西部山間、竹田市や豊後大野市は、日本書紀や豊後国風土記に、土蜘蛛にまつわる伝承が数多く記されている地である。竹田市久住町の宮処野神社(みやこのじんじゃ)は、景行天皇が土蜘蛛征伐にあたり陣を構えた地とされる。そこから南に行軍したところ、土蜘蛛の抵抗に遭い、一旦退却した地が、同じ竹田市の城原八幡社(きばるはちまんしゃ)、その南西、やはり同じ市内の、阿蘇外輪山の麓の禰疑野神社(ねぎのじんじゃ)が、三人の精強な土蜘蛛、ウチサル、ヤタ、クニマロの本拠地で、三人はここで天皇に討たれたという。また、豊後大野市の知田(ちだ)は、アオ、シロという二人の土蜘蛛を討ち、血が大量に流れたので「血田」と呼ばれたのが地名の起源という。一方、豊後大野市には、景行天皇を食事でもてなした、シノカオキ、シノカオミという土蜘蛛の伝承もある。なぜ、この地域にはこんなにも土蜘蛛の伝承が多いのか。そのヒントは、山を越えた、熊本県側にあった。肥前国風土記は、禰疑野の土蜘蛛と同じウチサルという名の土蜘蛛が、熊本市近郊の山にいたと伝え、それを討ったのが、市内の健軍神社の祭神・タケオクミノミコトという。この二つのウチサル伝承地の中央には、阿蘇山が聳える。そこは、神代より戦国を経て今まで続く、阿蘇氏の治める地であった。九州土蜘蛛伝承の真相に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾弐 広島・三次 魔物ハンターの広告戦略
- 少年が魔王から木槌を授かる江戸時代の怪異譚「稲生物怪録」 その舞台を訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
中国地方の中央、広島県北東部の盆地に位置する三次市には、江戸後期の神道家・平田篤胤も強い関心を持った「稲生物怪録」という怪異譚を記録した書物が伝わる。江戸中期、三次藩士の息子である稲生平太郎が、仲間との肝試しで嵐の中近所の山に登り、触れれば祟りがあるという石に木札を結び帰ってくる。すると、連日連夜、化物がやって来て平太郎を驚かすが、平太郎は動じる事がない。それが一ヶ月続いて、その最後にはついに魔王・山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)が現れるが、それでも動じない平太郎に魔王は感嘆し、魔王の助力が得られる木槌を与えて去る、という話である。三次市には、その平太郎の屋敷跡や、「稲生物怪録」にも登場する山へ登る際の入口となった神社、木札を結んだ石、山麓の寺院などが今も残っている。また、平太郎は長じて武太夫と名乗り、三次藩が併合されたため広島へ移ったが、武太夫の名は広島でも轟いたようで、広島市内には武太夫を祭る神社があり、魔王より授かったという木槌も、市内の国前寺に伝わっている。また、四国・松山のお家騒動に関係した化け狸・隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)を退治したという伝説が当地にあり、近隣にもその勇名が広く知られていた。「稲生物怪録」とは一体何だったのか?その舞台を訪ね、真相に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価3
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ナレーション3
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ストーリー3
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾五 島根・隠岐 「戦う天皇」配流の島々
- 後鳥羽帝、後醍醐帝、幕府と戦って配流となった天皇の足跡を、隠岐の島々に訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾七 岡山・津山 犬山さんの猿神退治
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- 著者: 高橋 御山人
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著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾 不撓不屈!! 神代より続く紀伊の精神
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著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾七 喜界、奄美 上 大宰府、源平 古の日本の南限
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九州と沖縄の中間に位置する奄美群島。最北端の喜界島でも、鹿児島から南に約400kmという僻遠の地にある。にも関わらず、本土との繋がりを示す伝説が多い。保元の乱で敗れて伊豆大島に流され、当地で討伐された源為朝は、南に逃れて沖縄へ至り、琉球王朝の祖となったというが、途中喜界島へ辿り着いたといい、為朝ゆかりの泉や神社が残る。平家失脚を狙う「鹿ケ谷の陰謀」が発覚し、俊寛が流された「鬼界ヶ島」は、喜界島の事ととも言われ、島にはその墓がある。平家の落人達も喜界島に逃れ、やがて奄美大島に根拠地を移したといい、喜界島にも奄美大島にもゆかりの神社がある。中世、北端の喜界島に至るまで琉球王朝に征服され、近世には薩摩藩の侵攻によりその直轄領となった奄美群島だが、古代には大和朝廷の勢力下にあったと見られ、平安時代には、暴れ回る奄美大島の民と見られる人々に対し、大宰府より喜界島に討伐の命を下した記録が残っている。そして喜界島の、平安から室町頃の城久遺跡群では、約五百棟もの建物跡や、製鉄の跡、日本本土や朝鮮半島、中国等多数の島外産陶磁器が発見されている。これは同時代の南西諸島の遺跡と比べ、群を抜く規模で、内容も極めて特異だ。その繁栄の背景には、宝飾品となる夜光貝の輸出があるという。知られざる古代・中世の「日本の南のボーダー」を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾九 奈良・初瀬 「大和の出雲」に菅公鎮まる
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著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾八 京都へ遷された壱岐や大隅の月の神
- 数少ない月の神を祀る有力な神社が京都に二社 そのルーツは壱岐や大隅にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
天照大神、スサノオノミコトとともに「三貴子」の一柱でありながら、神話上の事績が乏しく、祭神とする神社も少ない月の神・月読尊。その数少ない中でも有力な神社が、京都に二つある。一つは京都市西京区の月読神社で、現在は近隣の松尾大社の摂社である。この神社の由来は日本書紀にあり、任那への使者に神託が下りて祀る場所を求めた為、朝廷が現在地付近を奉ったという。その祭祀は壱岐氏によって行われたが、壱岐氏は九州と朝鮮半島の間の対馬海峡に浮かぶ壱岐島を出自とする氏族で、海人であった。そのため、この月読神社には、内陸であるにも関わらず、今も船に関わる神事が伝わる。そして、壱岐島にも月読神社があり、ここから京都に勧請されたものと見られている。今一つは、京都府南部の京田辺市大住(おおすみ)の月読神社である。こちらは南九州のまつろわぬ民・隼人が、朝廷に従属した後、当地に移住して来た際に、彼らの神を移したものとされ、大住という地名も、彼らの故郷である鹿児島の大隅に由来するという。彼らが伝えた隼人舞は、能のルーツの一つともなった。その隼人舞は一時途絶えたが、大隅一宮・鹿児島神宮に伝わる隼人舞を元に復元された。鹿児島神宮周辺は隼人が朝廷と戦った激戦地で、彼らを弔ったという隼人塚もある。なぜか神社に祀られることの少ない、月の神の謎を解く(カバー画像イラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾参 山口・萩 長州統合の象徴 松下村塾
- 吉田松陰が維新志士を育てた松下村塾は、「長州統合の象徴」として神社となった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
維新回天の地、萩。江戸時代、約250年に渡って、長州藩主・毛利氏の居城があったこの城下町は、維新で活躍した数多くの長州藩士や志士を生んだ。彼らを吉田松陰が育てた事も、多くの人の知るところである。吉田松陰が開いた私塾・松下村塾も世に名高いが、その松下村塾の建物が、萩市内の松陰神社境内に現存する。松下村塾は、元々松陰の伯父・玉木文之進が開いたもので、松陰もそこで教育を受け、後に松陰が継ぐが、安政の大獄による処刑後しばらく中絶、後に再開し、明治初期には再び玉木文之進が塾頭となった。しかし、萩の乱に多くの元塾生が参加し、責任を感じた玉木文之進が切腹した為、再度中絶、しばらくして松陰の兄・杉民治が再興し、明治中期まで続いた。松陰神社は、その数年前、杉民治が松陰の硯と書簡を御神体として邸内の小祠に祀ったのが起源で、塾舎の保存もこの頃持ち上がった。正式に神社となったのは、明治後期、元塾生の伊藤博文や野村靖らの請願による。維新発祥の地でありながら、明治になって、敵味方に分かれて市街戦さえ行われた萩。萩の乱は、松陰の師・玉木文之進の切腹に見るように、萩市民や長州人の心に大きな溝や傷跡を残したと思われる。松陰神社は、それらを昇華し、萩市民や長州人の心を統合する役割も果たしたであろう。維新の遺址に、神社の本質の一つを見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾弐 兵庫・出石 太陽光妊娠と新羅の王子
- 太陽光で妊娠して生まれた赤玉の化身の姫を追い、新羅王子・天日槍命が渡来する神話
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
兵庫県北部の豊岡市に、城下町・出石がある。出石藩主・仙石氏は、信州からの移封の際、そばを持ち込み、それが現在の名物・出石皿そばのルーツとなっている。桂小五郎が潜伏した住居や、新島八重の前夫・川崎尚之助の生家など、幕末の歴史に関わる史跡もある。そんな出石の街から外れたところに、但馬国一宮・出石神社が鎮座する。その祭神・天日槍命(アメノヒボコノミコト)は、古事記や日本書紀、播磨国風土記に神話が掲載されている。新羅にて、太陽光を女陰に受け、妊娠して赤い玉を産んだ女性がおり、新羅の王子である天日槍命がその赤玉を入手して、自邸に置いておいたところ、姫の姿になったので、これを妻とした。しかしある時、天日槍命と姫は喧嘩して、姫は祖国へ帰ってしまう。その祖国こそ、日本であった。姫は大阪あたりまで逃げ、天日槍命はこれを追うが追い切れず、結局但馬に土着したという。あるいは、天日槍命は出雲の大国主命と争い、播磨は大国主命、但馬は天日槍命が治めることになったという。また、その子孫からは、天皇の命で不老不死の果実を探し求めた田道間守(タジマモリ)が出ている。太陽光による懐妊、赤玉から生まれる姫、渡来する新羅王子といった、謎に満ちた神話の向こうに、古代における朝鮮と日本、父権社会と母権社会といったものの結節点を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾八 東京・小笠原 自然も文化もガラパゴス
- 南洋・欧米・日本の様々な文化が混じり合う日本最大の秘境!そこにも神社は鎮座する
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
東京より約千キロの南に浮かぶ、小笠原諸島。沖縄本島とほぼ同じ緯度で、サイパンまで約千三百キロの位置にあるこの島々は、東京都に属するが、六日に一度、東京より24時間以上かかる船でしか行くことの出来ない、海外よりも行くのが困難な「日本最大の秘境」である。島が出来てより一度も大陸と繋がったことのない「海洋島」であり、独自の進化を遂げた固有種が数多く、「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、世界遺産にも指定されている。二千年近く前の石器も発見されてはいるが、幕末まで継続して人が住むことのない無人島であった。ここに最初に移民したのは、ハワイや欧米系の人々だったが、明治初期に日本領である事が確定し、彼らは日本に帰化した。そして当然日本からも数多くの移民がやって来て、言葉も文化も混ざり合った。さらに、戦後二十数年はアメリカの統治下となったため、その影響も強い。小笠原は、自然だけでなく、文化も「ガラパゴス」なのだ。しかし、日本であることに違いはない。現在小笠原で一般人が住むのは父島と母島のみだが、どちらにも神社がある。鬱蒼としたビロウのジャングルの杜の中に。2013年に初めてラジオ中継局が出来るというインフラ整備の遅れた島だけに、娯楽が少なく、神社での例祭は大変盛り上がるという。高橋御山人の「日本全市町村踏破」最難関踏破の記録。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾 まつろわぬ「鬼」達 日本史の裏側(特別対談)
- 作品の多くに共通するテーマ「まつろわぬ民」や「鬼」。その頂点に「天皇」が!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 43 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
本シリーズも第九十社。テーマは言うまでもなく「神社」だが、作品の多くに共通するテーマとして「まつろわぬ民」や「鬼」がある。それは高橋御山人が長年運営しているWEBサイト「邪神大神宮」のテーマでもある。いずれも朝廷や幕府といった時々の権力に容易には従わなかった人々であり、本シリーズは第一社からしてアテルイがテーマで、各地の土蜘蛛を度々取り上げ、鬼女紅葉、酒呑童子、温羅等、「鬼」そのものも数多く紹介した。隼人の首領とされる弥五郎どんや、飛騨の両面宿儺等、「まつろわぬ」族長の影が濃い存在も登場している。傀儡子師や木地師といった、非農耕非定住の漂泊民も取り上げた。彼らも農耕定住を基盤とする日本の歴史的統治体系からすれば、一種の「アウトサイダー」であり、「まつろわぬ民」や「鬼」につながっている。非農耕の産鉄民をテーマとした回もあるが、農耕民から異様に見られた彼らは、「鬼」のルーツの一つである。こうして振り返ってみると、その一つの極、頂点に、後醍醐天皇という存在が浮かび上がって来る。天皇という体制の頂点にありながら、体制を破壊し再構築しようとした後醍醐天皇こそ、究極の「まつろわぬ」存在であり、「鬼」ではないか。そしてそれは、一般の認識とは異なる「天皇制」の別側面の象徴でもあった。「日本史の裏側」を透視する特別対談。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾四 秋田三湖 古の龍伝説が未来を拓く
- 田沢湖・十和田湖・八郎潟の「秋田三湖」に伝わる龍伝説に、明日への展望を見出す
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価3
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ナレーション3
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ストーリー3
秋田県にある「秋田三湖」と呼ばれる三つの湖。その全てに龍の伝説が伝わっている。まずは、田沢湖の「辰子姫」。このあたりに住んでいた人間の娘・辰子は、永遠の美を求めて観音菩薩に願を掛け、お告げにより山中の泉の水を飲んだ。しかし喉が渇いて際限なく水を飲み続け、龍の姿に変ってしまった。そこで仕方なく泉を広げて湖とし、そこに住んだ。これが田沢湖だという。湖畔のその泉の近くには、辰子姫を祭る御座石神社が建っている。青森との県境にある十和田湖にも、近くに住んでいたマタギの若者「八郎太郎」が、掟を破って仲間のイワナまで食べてしまい、川の水を飲み続けて龍となり、十和田湖を作って住んだという伝説がある。そこに、熊野で修業を積んだ山伏「南祖坊(なんそのぼう)」が現れる。南祖坊は「草鞋が切れた場所が終の棲家となる」という神託とともに鉄の草鞋を授かり、その切れた場所が十和田湖だった。南祖坊はここで龍に化身して八郎太郎と戦い、勝利する。これが十和田神社に祭られる青龍権現である。敗れた八郎太郎は西へ逃れて湖を作って住む。これが八郎潟であり、湖岸の八郎神社に祭られている。その八郎潟を戦後干拓して作ったのが大潟村で、入植した村民により建てられた大潟神社にも、八郎太郎は祭られている。古の龍伝説を辿り、明日にまで展望を広げた未来志向対談。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾壱 宮崎・高千穂 天孫降臨の地にまつろわぬ影
- 天孫降臨や天岩戸など、聖なる神々の事績を伝える高千穂にちらつく、「魔」の影を追う
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
宮崎県北東部の山間にある高千穂は、神話伝承の地である。天照大神の孫・ニニギノミコトが天照大神の命を受け、地上の統治の為に高天原より降臨した場所が、この高千穂とされ、天孫降臨の地として知られる。それだけでなく、高千穂には様々な神話伝承地があり、その中でも有名なものが、天岩戸神社だ。この神社の御神体は渓流沿いの岩窟であるが、これこそ天照大神が隠れた岩戸だという。その他、岩戸隠れの際、八百万の神々が集まって相談したという天安河原や、高天原の水を移したという天真名井など、数々の伝承地があるのだが、高千穂には、こうした「聖なる神々」の伝承地だけでなく、荒ぶる「まつろわぬ」鬼たちの伝承もある。その代表的なものが、神武天皇の兄に討たれた鬼八(きはち)であり、夜神楽で有名な高千穂神社には、その討伐の様子が彫刻されている。また、日向国風土記逸文には、天孫ニニギノミコトの降臨時、地上は暗闇に覆われていたが、二人の土蜘蛛の助言で明るくなったという神話が載っている。ここでは天孫に協力しているが、土蜘蛛は、記紀・風土記で天皇に逆らう土着の勢力として描かれ、後世には人を食う妖怪とされている。「魔」の影ちらつく神話の舞台の謎を解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾九 岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄
- 黄金都市・平泉の前身、衣川 戦人も詠む「和歌」とは何か?「まつろわぬ」芸術論!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
中尊寺金色堂を抱え、「黄金の国ジパング」の由来ともなった平泉。奥州藤原氏が開いた、京にも匹敵するこの一大都市の北を、衣川という北上川の支流が流れている。その合流点近くには、芭蕉の「奥の細道」でも有名な、源義経最後の地・衣川館(高館義経堂)があるが、古くはこの衣川こそが朝廷の勢力圏と蝦夷の勢力圏の境界であった。そして、流域に広がる旧衣川村(現奥州市)には、奥州藤原氏のルーツである、安倍氏累代の拠点・安倍館があったと伝えられる。元々朝廷の武士であった藤原経清は、安倍氏と婚姻関係を結び、朝廷から派遣された源氏と、安倍氏の側に立って前九年の役を戦ったが、最終的には滅ぼされる。が、数奇な運命を経て、後三年の役の末に奥羽の覇権を握ったのが、経清と安倍氏の娘との子であり、奥州藤原氏初代の清衡である。衣川は平泉のルーツなのだ。安倍館の近くには、安倍氏の守護神・アラハバキ神(其の二「宮城・秋田古代東北のまつろわぬ信仰」参照)を巨石に祀った神社が建ち、前九年の役の古戦場も残る。そこで、源義家は、戦いながら歌を詠み、安倍貞任はそれに返したという。捕縛され都に送られた安倍宗任も、蝦夷と小馬鹿にする貴族相手に歌を詠み、教養を示したという。命懸けの局面ですら詠まれる「和歌」とは一体何なのか。その真髄を読み解く驚天動地の芸術論!
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之三 秋田・男鹿 なまはげが山から海からやって来る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
前回に引き続いて、御山人が青春18きっぷを使い行った一人大学卒業旅行。 その最終到達地は、日本海に突き出た、秋田県・男鹿半島。 この地に伝わる「なまはげ」を求めて、半島中心部の山間にある真山神社を訪ねる。 併設の伝承館では「なまはげ」来訪の実演も行われる真山神社には、 こんな習俗と伝承がある。 ○祭礼の日、山から「なまはげ」が降りて来る ○「なまはげ」は家々を訪れ、怠け者を責めて暴れ回る ○一方では、五穀豊穣、家内安全などの福や富をもたらす「神の使い」でもある ○ゆえに、真山神社の鬼には角がない しかしこれは、あくまでも真山神社の「なまはげ」の話。 男鹿半島一帯に伝わる「なまはげ」は、場所によって言い伝えや姿も異なる。 特に注目すべきなのが、半島南西部沿岸の赤神神社。 ここにはまた別の伝承がある。 ●漢の武帝が、海の彼方より五匹のこうもりを連れて来た ●そのこうもりが鬼となり、村を荒らし回る ●困った村人は鬼らと賭けをし、知略によって退散させる ●赤神神社の五社堂はその鬼らを祀り、これが「なまはげ」の起源という 「なまはげ」のような来訪神とは何なのか?古代における「未知との遭遇」とは?卒業式前日、自らマレビトと化して追う、彼方より寄り来る「異類」たちの足跡。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾六 徳島の山間 高知の秘境 四国の猫神様
- 「犬神」だけではなかった!四国の山間に鎮まる「猫神」の神社とその伝承を訪ねて
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
「犬神」で知られる四国だが、「猫神」を祭る神社もある。徳島県阿南市の「お松大権現」もその一つ。江戸時代、当地の庄屋・惣兵衛が、近在の富豪・野上三左衛門から金を借り、不作で困窮する村を救った。その後借金は返済するが、証文を取りそびれたまま惣兵衛は病死する。惣兵衛の妻・お松は、何度も証文を請求するが受け取れず、逆に未返済だと偽られ、担保の土地も取られてしまう。お松は奉行所に訴え出るが、奉行も富豪に買収され、下された裁きは不当だった。意を決したお松は、藩主に直訴、その罪により処刑される。残された愛猫・三毛は、化け猫となって三左衛門と奉行の家に現れ、両家は断絶、仇を討った。そのお松を村人が祀ったのが「お松大権現」だという。仇討ちの成功譚から、勝負や受験の神として信仰され、境内には夥しい招き猫が奉納されている。また、高知県南西部、足摺岬近くにも関わらず、全く海に接していない内陸の三原村には「猫神様」が祀られている。戦国時代、土佐南西部を治めた一条氏の姫君・椿姫の屋敷が当地にあったが、姫が何者かにさらわれ、姫の乳母や飼い猫も姫を探したが見つからず、乳母は滝に身を投げて自殺、猫も何も食べず衰えて死んだので、里人達が祠を造って祀ったという。猫神様は喘息や胸の病に霊験があると言われる。四国山間の「猫神信仰」を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾七 吉備から大和へ 物部の司る石上神宮の遷座
- 神事と軍事を司る物部氏が神剣の神霊を祀る石上神宮は、吉備より遷されたものだった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価4
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ナレーション4
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ストーリー4
奈良県天理市の石上神宮は、大和朝廷に重んぜられた、極めて古い歴史を誇る神社である。主祭神は、天孫降臨前の国津神の平定や神武東征で使われた、神剣・布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊とされ、その祭祀は、神事と軍事を司る物部氏が行っていた。明治に禁足地を調査したところ、古代の七支刀が発見された事でも知られる。祭神の一柱には、スサノオノミコトが八岐大蛇を斬った剣も含まれているのだが、一方で、日本書紀には八岐大蛇を斬った剣は吉備にあると書かれ、古語拾遺には後に石上神宮へ遷されたとある。その吉備の、剣があったという場所に建つのが、岡山県赤磐市の石上布都魂神社である。この神社の社伝によれば、八岐大蛇を斬ったその剣こそが、布都御魂剣という。岡山県の山間部に鎮座するこの神社は、山の麓に建つが、かつては山頂に社殿が営まれ、今もそこには大きな磐座がある。そこは石上神宮と同じく、禁足地となっている。神社の宮司は、今も物部姓だ。この近くには、弓削という地名もある。弓削の名が付く地名は全国にいくらかあり、それは道鏡を輩出したことで有名な古代の氏族・弓削氏の住んだ場所であるが、弓削氏とはその名の通り武器製作を生業とした民で、物部氏の一派であった。神話に遡る石上の信仰と、磐座の祭祀。古の人々が重視した「石」の意味に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十六 島根・奥出雲 八岐大蛇と製鉄神 トーテムの物語
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
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総合評価3
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ナレーション3
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ストーリー3
島根県南東部、中国山地沿いの奥出雲地方は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話の舞台。 鳥取県境の船通山は、高天原を追放されたスサノオノミコトが降臨した山とされる。 山中の鳥上滝は、出雲一の大河・斐伊川の源流で、八岐大蛇の棲み処だったと伝わる。 八岐大蛇の神話には様々な解釈があるが、その一つが「治水神話」である。 暴れ川である斐伊川を見事に治めたのが、スサノオノミコトだというのだ。 蛇や龍は、世界中の神話で水を司るものとされている。 「製鉄神話」や「征服神話」とする説もある。八岐大蛇の尻尾から、三種の神器の一つ、 天叢雲剣が出るが、これは当地の土着民を降し、鉄資源と生産を得た物語なのだという。 中央で編纂された記紀神話にある八岐大蛇退治も、出雲で編纂された風土記にはない。 これは、征服者に魔物とされた存在も、被征服者にとっては祖神であるからともいう。 さて、奥出雲地方は、古より製鉄の盛んな土地で、今もたたら製鉄を行う場所がある。 「金屋子神(かなやごかみ)」を祀る神社の総本宮、金屋子神社もあり、 全国の鉄山師の信仰を集めた。今も境内に数多くの鉄滓が置かれている。 金屋子神は、死の穢れを好むなど、通常の神道の常識とは大きく異なる信仰を持つ。 片目・片足の神や魔物などは、過酷な製鉄に従事し障害を負った民が、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九 大和から土佐へ 一言主神の流竄と 呪術家賀茂氏
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 27 分
- 完全版
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総合評価3
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ナレーション3
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ストーリー3
高知市に鎮座する土佐一宮・土佐神社。祭神は一言主神・アジスキタヒコネノ神。 高知県南西部・黒潮町の沿岸の加茂神社より遷ったともいわれるが、 元々は、大和・葛城より、流刑されてここにたどり着いたのだという。 その話は古文献に載っているが、書物によって内容が大きく異なる。 ○続日本紀では、雄略天皇の怒りに触れ流刑に処せられる ○より古い日本書紀では、天皇と対等の立場で、ともに狩りを楽しむ ○最古の書物・古事記では、天皇が一言主神に畏れ畏まる ○続日本紀より新しい日本霊異記では、修験道の開祖・役小角に使役される 時を追うごとに著しく零落していく一言主神。 この話の舞台である葛城には、今も一言主神社と、 アジスキタヒコネノ神を祀る、全国加茂神社の総本社・高鴨神社が鎮座する。 そしてそこは、これらの神を崇める、古代豪族賀茂氏の根拠地だった。 ●役小角や安倍晴明の師・賀茂保憲など数々の陰陽師を輩出した呪術家の一族 ●全国に展開し「カモ(賀茂・加茂・鴨等)」の地名や神社を各地に残した ●高鴨神社より登った山裾には「高天原」と神武天皇に討たれた土蜘蛛の塚も ●一言主神社にも土蜘蛛の塚があり、能の題材となっている 流刑された神を祀り、歴史に名を残す呪術師を幾人も輩出し、 全国に広がって、「まつろわぬ民」土蜘蛛との深い関係も見出せる、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾六 東京にも残る古代の石神信仰 ルーツは諏訪に
- 東日本に残る古代信仰「石神」、その根源は諏訪の「ミシャグジ神」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
高橋御山人が毎日通る道沿いに鎮座する、東京都板橋区の天祖神社。その境内には「天孫降臨の頃」より存在したという男根型の石「おしわぶきさま」が祀られている。それは柳田國男の「石神問答」で指摘された、古代より東日本に広がっている「石神」である。そこからそう遠くない、練馬区石神井の石神井神社には「神代以前の石剣」を御神体とする石神井神社があるが、この石神井という地名も「石神」信仰に由来するものという。そして、各地に残る石神信仰のルーツを遡って行くと、諏訪の土着神「ミシャグジ神」の信仰へと辿り着く。それは、精霊崇拝的な原始信仰であり、近代以前は「神長官(じんちょうがん)」の役職を世襲する守矢家がその祭祀を司った。諏訪には、記紀神話とは異なる神話も伝わっており、守矢家は、皇室と同等の古さを誇る家だという。そのような原初的な信仰を伝える諏訪の祭祀には、串刺しにした兎や、鹿の生首を大量に供える血生臭いものもあり、諏訪大社は、仏教の教理に基づき建前上肉食禁止であった中世の日本において、狩猟と肉食の許可状を発行する唯一の神社でもあった。諏訪は、縄文文化が栄えた地でもあるが、諏訪大社の狩猟との関連は、狩猟が盛んだった縄文由来のものとも言われる。「平地」とは異なる「山」の原初的信仰と、そのセンターである諏訪について考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾弐 宮崎・椎葉 「ヤル気」満々 平家の落人
- 宮崎の秘境・椎葉村 那須与一の弟と合流した平家の落人達は、再起を図る意欲満々!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション0
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ストーリー0
宮崎県西部、険しい山の谷あいにある秘境・椎葉村。伝承によれば、壇ノ浦で敗れた平家が落ち延び隠れ住んだが、源頼朝の命で那須与一の弟・大八郎が追討にやって来る。が、狩猟や焼畑など、山の暮らしで精一杯で、戦闘意欲を捨てた落人達を見て、便宜を図り、ともに暮らしたという。大八郎は、落人達のために、平家繁栄のシンボル・厳島神社を勧請さえした。さらに、平家の女官である鶴富姫と結ばれ、一子設けたという。大八郎はやがて頼朝の召還命令により椎葉を去るが、鶴富姫は娘に婿を取り那須姓を継がせ、その子孫が代々椎葉の庄屋を継いだ。その那須家の江戸時代の邸が今も椎葉に残っており、「鶴富屋敷」と呼ばれている。しかし、この鶴富屋敷や、椎葉村北部の十根川集落は、斜面に石垣を築いて屋敷を構えており、まるで山城に見え、十分に戦闘意欲を感じさせる。十根川には、大八郎御手植えと伝わる樹齢八百年の杉が聳える十根川神社があるが、これは彼らが再起を図ることを誓った記念碑のようにも見える。神仏習合色を残した神楽や、呪術性の強い正月行事、猪のお供えなど、山深い地ゆえの独特の文化が見られ、柳田國男も「後狩詞記」を著し「日本民俗学発祥の地」と言われる椎葉。その源泉たる「落人のエネルギー」を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
富山市郊外に鎮座する鵜坂神社は、二千年の昔、崇神天皇の頃、四道将軍の一人大彦命によって建てられたと伝わり、六国史や延喜式にも載る、「越の大社」と言われた古社である。越中国司時代に大伴家持も参拝し、近くの神通川で鵜飼を鑑賞、万葉集に歌も残している。行基が二十四堂伽藍を建立、白鳳期には真言宗鵜坂寺も建てられ、源義仲の挙兵により一時焼失するも、源頼朝が再建、明治の神仏分離まで神宮寺として栄えた。こうした長い歴史を持つ神社であるが、特筆すべきは、平安時代から行われていたという特殊神事「尻打祭」である。これは、女が一年の内に会った男の数を申告し、神主がその数だけ榊で女の尻を打つというものであった。元々は、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという、公家の遊びが伝わったものだったが、鎌倉時代には、既に女の性の乱れを戒める趣旨であったという。「尻打祭」は「日本五大奇祭」の一つに数えられ、平安歌人・源俊頼や、松尾芭蕉がこの神事を詠んでいる。しかし、この行事は近代社会には馴染みにくく、明治以降は雌馬で行われるようになり、第二次大戦以後は途絶えた。けれども、近代的観念と相容れない、「SM」すら彷彿とさせるこのような行事にこそ、神事の真髄が垣間見えるのである。奇祭の向こうに「近代的常識」の揺らぎを見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾六 島根・石見 「デビルバスター」で神楽の国の幕開く
- 石見の国は神楽の国!今も広く支持される神楽の筋書きの如く、発祥は魔物退治にあり
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
島根県西部・石見の国は、今も神楽の盛んな地域である。「石見神楽」と総称され、速いテンポと激しい踊り、派手な衣装とスモークや花火等の特殊効果、力強い口上と魔物退治が中心の血湧き肉躍るストーリー等々、娯楽性が高いもので、石見地方一帯において、世代を超えて支持されている。上演頻度も非常に高い。新たな演目が創作される事もある。つまりは、津軽三味線や沖縄の島唄のような、今も「生きている」郷土芸能なのだ。高橋御山人は、これまで石見地方の様々な神社で何度も神楽を観て来た。毛布にくるまって徹夜で観た事もある。今回観たのは川本町・武明八幡宮での奉納神楽だ。地元の城跡を題材とした創作演目「丸山築城」も上演された。当地周辺には、石見神楽の源流となる大元神楽も伝わっている。これは数年に一回だけ上演され、テンポもゆるやかで、神憑りによる託宣が下りることもある、神事としての色合いが濃いものである。神楽は、明治になって政府が禁じるまで、神職や山伏等の宗教者が演じる、神事そのものだったのである。さて、こんな魔物退治の神楽が盛んな「石見」の地名由来も、また魔物退治の神話にある。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が魔石を討った事によるといい、その岩は今も邑南町・八色石(やいろいし)の龍岩神社に鎮座する。石見の国は「活劇」の国だ。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾八 福島・棚倉 土蜘蛛、サンカ 物語が紡ぐ明日
- 土蜘蛛の姫、日本武尊の征伐、「神」の名を冠す生き残り、サンカ。奥州一宮の物語。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
福島県南部の棚倉町に建つ都々古別神社は、陸奥国一宮。棚倉には、馬場、八槻の二ヶ所に都々古別神社があるが、どちらも奥州一宮である。奥州では、はるか北に位置する宮城県塩竈市の鹽竈神社も一宮であるが、これは時代による朝廷勢力圏変遷の影響で、当地はより古い時代の中心地であったと思われる。それを窺わせるのが、近隣の建鉾山で、古代の祭祀遺跡が発見されているが、この建鉾山こそが両都々古別神社創建の地であり、日本武尊による東征の際、ここに鉾を立てて神を祀ったとされる。陸奥国風土記逸文には、その時の様子が詳しく記されており、太古、この地には八人の首長に率いられた土蜘蛛がいたという。そのうち二人は姫の名を持つ女性であった。この土蜘蛛は強大で、朝廷側の国造を敗走させる。そこで、日本武尊が官軍とともに征伐に来るのだが、土蜘蛛は津軽の蝦夷と共謀し、砦に多数の弓を連ね張って、官軍は手を焼く。しかし日本武尊が放った八発の矢は、見事八人の首長を射抜き、それらは全て根付いて芽が生え、槻の木になった。そこでその地を八槻と呼んだという。また、八人のうち「神」の名を冠す二人は許されて(うち一人が女性)、子孫が当地に住むと書かれている。その棚倉で、御山人は偶然にも「サンカ」が営む店を発見!「今」を生きる人々にとっての古の「物語」の意味を考える。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾参 香川・高松 機織の「ちきり」と人柱の少女
- 「神託」により、生き埋めにされた後、嘆き声を上げ続け、神として祭られた少女
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
高松市の南部、仏生山地区の滕神社(ちきりじんじゃ)。「ちきり」とは機織りに使う道具の名である。ここには「いわざらこざら」という悲しい人柱伝説が伝わっている。近くにある平池という、平安時代に造られたため池がある。それが災害により大きく破損し、平清盛の命で、在地の豪族が改修にあたった。しかし、改修は困難で、何度やっても堤が壊れた。そこで神仏に祈願したところ、明日「ちきり」を持った女が通るので、人柱にせよとの託宣を受ける。果たして翌朝一人の娘が通りかかり、役人が何を持っているか尋ねると、「ちきり」だと答えるので、捕えて生き埋めにし人柱とした。娘は埋められる時「言わざら来ざら(言わなければ良かった、来なければ良かった)」と言い続けたという。こうして無事ため池の改修は終わったのだが、堤の東の方では、どこからともなく水が漏れ出し、僧侶がそれを聞くと、「言わざら来ざら」と聞こえた。彼女の霊を慰めるため、神として祀ったのが、滕神社という。この神社は、そうした特異な由緒がある為、「身代わりお守り」を授与し、「人形祓い」を積極的に行っている。日本各地に古くから伝えられる人柱という悲劇的な一種の呪術。それはなぜ行われたのか?水、機織、女性、魔性という他伝承との共通項にも注目しつつ(其之参拾壱「福島・奥会津武家の世開くドラゴン退治」参照)、近代以前の社会における共同体と個人の関係について考察する。
著者: 高橋 御山人